借金総額は約1,500万円。
私は35歳のとき、返済不能に陥り、人生で最初の自己破産を経験しました。会社員として働いていたにもかかわらず、リボ払いとキャッシングを重ね、気づけば抜け出せない借金地獄に。破産で借金をゼロにしてから、ようやく再出発を決意したのです。
そこから12年——。ようやくクレジットカードを作れるようになりました。けれども、自己破産の経験があったため、カードはほとんど使わないようにしていました。しかし、浪費癖は治らず、少しづつ少しずつ支出が膨らみ、気づけばまた借金生活に逆戻りしていたのです。ギャンブルも酒もやらず、原因は“生活の甘さ”と“油断”でした。
2022年、借金が再び膨らみ、二度目の自己破産を考えました。ですが、同じ浪費が原因では免責(=借金の支払い義務を免除されること)は認められません。そこで私は任意整理を選択しました。買ったばかりの車を手放したくなかったからです。しかし返済は厳しく、結局**個人再生(裁判所を通じて借金を大幅に減額する制度)**へと踏み切る事になります。
そして2026年3月、すべての返済がついに完了します。この記事では、自己破産・任意整理・個人再生の3段階を経験した私が、再生の道を歩む中で学んだことと、同じ悩みを抱える人への現実的なアドバイスができればと思っています。
借金1500万円の始まりと崩壊の瞬間
今振り返ると、借金の始まりは25年前、35歳のときの約700万円の負債からの自己破産でした。クレジットカードのリボ払いとローンが中心で、ギャンブルも酒もやらない自分が、なぜこれほどまでにお金を失ったのか——当時は「なんとなくお金が減っていく」という感覚だけが続いていました。
外食が多かったのは確かです。スーパーに行ってもコンビニに行っても、つい余計なものを買ってしまう。しかも値札を見ない。ただ、それだけでここまで借金が増えるわけではありません。小さな浪費を繰り返しているうちに、毎月のカード利用額が膨らみ、気づけば返済額のほとんどが利息に消えていました。
ボーナスはなく、収入も安定せず、まとまった返済はできませんでしたが、「なんとか払える」という根拠のない自信だけはありました。今にして思えば、それは自信ではなく妄想に近いものでした。
月の収入が少ないと、延滞を避けるためにキャッシングで支払いをつなぎ、借金を借金で返す“自転車操業”が続いていました。
やがて返済が生活の中心になり、息をするように借入を重ねていました。誰にも相談できず、家族もいない。静かに、しかし確実に、破綻は近づいていたのです。次では、その破綻を招いた「浪費とキャッシング地獄の始まり」について掘り下げます。
浪費とキャッシング地獄の始まり
自己破産の原因となった最大の要因は、浪費を繰り返した日常の積み重ねでした。結論から言えば、派手な買い物や投資ではなく、「少額の支出を軽く考えた結果」が大きな負債につながったのです。リボ払いを使えば支払いが楽になる、キャッシングでつなげばなんとかなる——そう思い込んでいました。
最初は1万円、2万円という小さなキャッシングから始まりました。返済が厳しい月に「一時的に借りて、次で返せばいい」と安易に利用したのがきっかけです。ところが、返済のための借入が常態化し、カードの限度額が一杯になっても、別のカードを作っては借入を続けていました。延滞だけは避けようと必死で、キャッシングで支払いをつなぐ“綱渡り”の生活が続いたのです。
当時は利息の仕組みも理解していませんでした。年利15%がどれほど重いのかも意識せず、毎月の返済額だけを見て「払えている」と錯覚していました。実際には元金はほとんど減らず、借金は雪だるま式に膨らんでいったのです。
気づけば、借金を返すために働き、働いても返済に追われるだけの日々。心も財布も限界に近づいていました。次では、この「リボ払いが雪だるま式に増えていった理由」をもう少し具体的に振り返ります。
リボ払いが雪だるま式に増えていった理由
リボ払いが危険だと理解したのは、すでに返済が限界を超えた後でした。結論から言えば、リボ払いの仕組みそのものが「減らない借金」を作り出す構造になっていたのです。毎月の支払い額が一定に設定されているため、返済できているように錯覚してしまう。それが、長期的な借金地獄の入り口でした。
当時の私は、「今月も支払えているから大丈夫」と思い込み、カードの利用明細を深く確認することはほとんどありませんでした。けれども、実際に返済額の内訳を見てみると、その大半が利息に充てられており、元金はほとんど減っていなかったのです。残高が減らないのに、利用限度額だけは増やされていく。その繰り返しでした。
特に危険だったのは、“自動リボ設定”の存在です。新たに買い物をしても、自動的にリボ払いに組み込まれる仕組みで、意識せずとも借金が増えていきました。加えて、支払いを続けていればカード会社からの督促もないため、「まだ大丈夫」と油断してしまうのです。
リボ払いは、一見すると便利なようで、実際は返済の見通しを奪う制度でした。利息の仕組みを理解しないまま使い続けた結果、借金は雪だるま式に増加し、気づけば手の施しようがない状況に。次では、そんな日々の中で孤立していった私の心境を振り返ります。
誰にも言えず、孤立していった日々
借金が増えていく中で、最も苦しかったのは**「誰にも言えない」**という孤独でした。結論から言えば、借金の金額よりも、相談できる人がいない状況の方が心を蝕みました。家族もおらず、友人にも打ち明けられないまま、返済のためだけに生きる毎日が続いていました。
会社では表向きは普通を装い、同僚と昼食を取る余裕すらないときもありました。財布には数百円しかなくても、周囲には気づかれたくない。プライドが邪魔をして、「助けて」と言えなかったのです。督促の電話が鳴るたびに心臓が強く脈打ち、夜も眠れない。そんな日々が何年も続きました。
延滞だけは避けようと、キャッシングで支払いをつなぎ続けました。返済のために働き、働いたお金はすべて返済に消える。お金が減る感覚が麻痺していき、心の中では「もうどうにでもなれ」と投げやりな気持ちさえ芽生えていました。
振り返れば、あの頃の私は、借金ではなく“自分自身”を追い込んでいました。助けを求める勇気さえ失い、孤立の中で静かに壊れていったのです。次では、そんな中で私が最初に選んだ「自己破産」という決断と、その葛藤についてお話しします。
自己破産を決意した35歳サラリーマンの葛藤
35歳のとき、ついに私は自己破産を決意しました。結論から言えば、それしか選択肢が残っていなかったのです。延滞を避けるためにキャッシングで支払いをつなぐ日々は限界を迎え、どれだけ働いても借金は減らず、返済が生活のすべてになっていました。毎月の支払いに追われ、心の余裕も、未来への希望も消えていた時期です。
当時は正社員として働いていましたが、給与は生活費と返済でほぼ消え、貯金などまったくできませんでした。夜は督促の電話に怯え、朝になると現実に戻る。仕事中も「次の支払い、どうしよう」と頭の中が借金のことでいっぱいでした。これ以上の延命は不可能だと、ようやく現実を受け止め始めたのです。
それでも、自己破産という言葉には強い抵抗がありました。世間的な“汚名”のような印象があり、破産したら人生が終わると感じていました。しかし、法律上の手続き(※自己破産=裁判所に申立てを行い、借金の支払い義務を免除してもらう制度)を知るにつれ、それが「終わり」ではなく「再出発の方法」であると理解できました。
最後は、疲れ果てて決断しました。破産を選んだというより、「もう耐えられない」という限界からの決意でした。次では、その破産手続きがどのように進み、どんな現実を迎えたのかを具体的にお伝えします。
弁護士相談から手続き完了までの流れ
自己破産を決意してから、最初に行ったのは弁護士への相談でした。結論から言えば、弁護士に相談した時点で生活は一変、心理的に大きく救われたのです。当時は「破産=終わり」という先入観を持っていましたが、実際の手続きは非常に冷静で、淡々と進むものでした。
最初の面談では、これまでの借入状況・収入・支出・資産などを詳細にヒアリングされました。借金の理由を問われたときは、恥ずかしさで声が詰まりましたが、弁護士は責めることなく「浪費による破産は珍しくない」と静かに話してくれました。その言葉で、初めて肩の力が抜けたのを覚えています。
受任通知(※弁護士が債権者に介入を通知する書面)が発送されると、督促や取り立てが法律的に止まります。これにより、ようやく夜に眠れるようになりました。その後、弁護士が裁判所に申立書を提出し、私の破産手続きが正式に開始されました。
実際には、正式に依頼することが決定すると、弁護士さんの方から現時点で支払いはストップするよう促されます。もし債権者から督促の電話があったとしても、弁護士さんに依頼をした旨を伝え、絶対に支払わないよう念を押されます。(ここで1件でも支払いをしてしまうと、手続き上の不都合が起きてしまうとのことです)
審査や管財人との面談を経て、最終的に免責許可決定(=借金の支払い義務が免除される判断)が下りるまで、約半年ほどかかりました。苦しい期間ではありましたが、「終わった」というより「生き返った」という感覚に近かったです。次では、その直後に感じた“恥ずかしさ”と“安堵”という複雑な感情についてお話しします。
自己破産後に感じた「恥ずかしさ」と「安堵」
免責が下りた瞬間、肩の荷が降りたような気持ちになりました。けれども同時に、深い恥ずかしさも感じていました。結論から言えば、破産手続きが終わった後こそ、精神的な整理が必要な期間でした。「35歳で自己破産」という事実を、自分の中でどう受け止めればいいのか分からなかったのです。
破産したことで誰かに非難されたわけではありません。しかし、自分の中では「社会人として失格だ」という思いが強く、会社の人にも、友人にも打ち明けられませんでした。生活はリセットされたものの、心の中には“負い目”が残りました。それでも、支払いのために怯える日々がなくなったことで、少しずつ前を向けるようになっていきました。
実際、破産を経て初めて「お金の怖さ」を実感しました。便利だと思っていたクレジットカードも、計画性を欠けば人生を狂わせる道具になる——そう痛感したのです。破産後は現金生活に切り替え、少しずつ生活を立て直していきました。
この経験を経て、「破産=人生の終わり」ではないと断言できます。むしろ、あの時破産を決断できたからこそ、今こうして生きていられるのです。次では、再び借金を抱えるまでの経緯と、任意整理に挑戦することになった理由をお話しします。
任意整理に挑戦した理由と失敗の現実
自己破産から約12年後、私は再び入り口に立ってしまいます。破産によって借金はゼロになり、やり直せるはずだったのに、現実はそう簡単ではありませんでした。長いブラック期間を経て、ようやくクレジットカードを持てるようになった頃、「もう大丈夫だ」と過信してしまったのです。結論から言えば、再び同じ失敗を繰り返したということになります。
ギャンブルも浪費もやらないつもりでいたのに、生活の中で少しずつ支出が膨らみました。外食やちょっとした買い物、気づけばリボ払いが当たり前になっていました。「自己破産した人間がまた借金するなんて」と、自分でも信じられない気持ちでした。それでも、返せるという根拠のない自信がどこかに残っていたのです。
2022年、借金の総額が再び膨らみ、生活が回らなくなりました。2度目の自己破産を考えましたが、前回と同じ“浪費”が原因では免責が下りにくいと知り、現実的ではありませんでした。そこで選んだのが**任意整理(※弁護士が債権者と交渉し、返済額や利息を減らす手続き)**でした。
任意整理なら車を手放さずに済む。そう考えて決断しました。1年前に購入した車のローンが4年ほど残っていたため、それを維持したい気持ちが強かったのです。結果的に任意整理が成立し、支払いは少なくなりました。しかし、生活は想像以上に厳しく、再生の道はまだ遠いものでした。次では、なぜ私が任意整理を選んだのかをもう少し詳しくお話しします。
なぜ任意整理を選んだのか
2度目の自己破産を避け、任意整理を選んだ理由は明確でした。結論から言えば、**「車を手放したくなかった」**という一点に尽きます。当時、私は通勤や生活に自家用車が欠かせない環境で働いていました。ローンは4年残っており、自己破産をすると車は資産として処分対象になります。仕事を続けるためには車が必要——その現実的な理由から、任意整理を選んだのです。
任意整理は、裁判所を通さずに弁護士が債権者と直接交渉し、利息や返済額を減らす手続きです。自己破産と違って財産を処分する必要がなく、家や車を残せる可能性があります。その一方で、元金は返済しなければならず、毎月の支払いを継続するだけの収入が求められます。私は「これなら何とかなる」と考え、迷わず手続きを依頼しました。
弁護士との面談で、借入先と残高を整理したときには、あらためて自分の甘さを痛感しました。生活費の不足をキャッシングで補い、リボ払いを繰り返していた結果、気づけば総額は数百万円に。破産を回避できた安堵と同時に、「また同じことをしている」という後悔も押し寄せました。
任意整理は一見、穏やかな解決に見えます。しかし、その後の生活再建には強い覚悟が必要でした。次では、任意整理後に直面した現実と、返済が続かなくなっていった理由をお話しします。
毎月の返済が続かなくなった理由
任意整理が成立したとき、私は「これで生活を立て直せる」と信じていました。返済額も見直されたことで、一時的に気持ちは軽くなりました。しかし、現実は想像以上に厳しいものでした。結論から言えば、生活そのものが立ち行かず、返済を続ける余力がなかったのです。
任意整理の返済は、基本的に3〜5年の分割払いが原則です。私の場合も毎月の返済額が数万円に設定されましたが、家賃や光熱費、食費を支払うとほとんど手元に残りませんでした。仕事の収入は安定しておらず、月によって変動がある中で、固定の返済額を払い続けることは現実的ではなかったのです。
また、任意整理をしたことでクレジットカードはすべて利用停止となり、急な出費にも対応できませんでした。生活費が足りない月は、家賃を遅らせたり、公共料金の支払いを遅らせたりして凌ぐしかありませんでした。まさに「返済するために生活を削る」状態で、心にも体にも限界が近づいていました。
返済を続けるほどに生活が追い詰められ、「このままではまた同じことを繰り返す」と感じるようになりました。任意整理が成立しても、それだけで再生が叶うわけではありません。根本的な見直しが必要だと痛感したのです。
ここまで読むと、「そこまでの金額なら自己破産しかないのでは」と思うかもしれません。ですが、私自身が一番苦しんだのは、制度そのものよりも、メリットとデメリットを冷静に整理できていなかったことでした。
実体験を踏まえて、「正直に言って、どこがきつかったのか」「やってよかった点・後悔した点」を包み隠さず書いたのが、こちらです。

任意整理の落とし穴と後悔したポイント
任意整理は「自己破産ほど重くない」「財産を失わずに済む」と思われがちですが、実際には生活再建の難しさを伴う制度です。私自身、破産を避けるために選んだものの、今振り返ればいくつもの落とし穴がありました。結論から言えば、任意整理は「手続きが終わってからが本番」なのです。
まず大きな誤算だったのは、生活の変化を想定していなかったことです。収入が不安定な中で3年間の返済を続けることは、想像以上に負担が大きいものでした。たとえ返済額が減っても、固定費や税金、突発的な支出が重なるとすぐに資金繰りが苦しくなります。任意整理は利息が止まるだけで、元金の返済義務は残るため、収入の安定が欠かせません。
次に後悔したのは、「再出発のための根本的な対策」を取らなかったことです。節約を意識しても、浪費の癖やお金の使い方の意識を変えなければ、結局また同じ状況に戻ります。任意整理の安心感に油断して、根本的な家計の見直しを怠ったことが、最大の失敗でした。
結果的に、任意整理の返済は行き詰まり、私は再び弁護士に相談することになります。破産を避けつつ、生活を立て直す方法はあるのか。次でお話しする「個人再生」という制度との出会いが、私の人生をもう一度救うことになりました。
個人再生で見えた再スタートの光
任意整理が行き詰まり、私は再び弁護士のもとを訪れました。破産を避けたい一心で選んだ任意整理でしたが、返済が続かない現実を前に、限界を感じていたのです。結論から言えば、ここで新たに選んだ「個人再生」が、再出発への大きな転機になりました。
個人再生とは、裁判所を通じて借金を大幅に減額し、原則3年(最長5年)で分割返済を行う法的な制度です。破産のように財産をすべて失うわけではなく、マイホームなどは一定条件のもとで残すことができます。弁護士からこの制度の説明を受けたとき、「これが最後のチャンスだ」と感じました。
任意整理では自力で立て直す感覚がありましたが、個人再生はより制度的な支援があり、返済計画に現実味がありました。借金の総額が大幅に減り、返済の見通しが立つだけでなく、精神的にも「もう一度やり直せる」という希望が生まれたのです。
個人再生の申立てを決めたとき、正直なところ不安もありました。しかし、再び手続きを依頼した弁護士の「今度こそ、本当に生活を立て直しましょう」という言葉が、前に進む支えになりました。次では、弁護士に再相談した際に見えてきた“最善の選択”について詳しくお話しします。
弁護士に再相談してわかった最善の選択
任意整理の返済が立ち行かなくなり、再び弁護士に相談したとき、私は正直、もう自分には打つ手がないと思っていました。しかし、弁護士は冷静に状況を整理し、こう言いました。**「自己破産は厳しいですが、個人再生という選択肢があります」**と。結論から言えば、あの一言が再起のきっかけでした。
個人再生の説明を受けたとき、最初は半信半疑でした。裁判所を通じて借金を大幅に減額し、残りを3〜5年で返済するという仕組み(※個人再生=裁判所の認可を得て、借金の一部を免除してもらい分割返済する制度)に、現実味があるようには思えなかったのです。しかし、実際にシミュレーションしてみると、総額800万円あった借金が約150万円程度まで圧縮できる可能性があるとわかり、希望の光が見えました。
任意整理の際残したかった車を諦めさえすれば、再建の可能性ができたのです。
任意整理では「自力で頑張る」感覚が強かったのに対し、個人再生は制度に支えられながら現実的に返済できる方法でした。弁護士の提案を受け入れ、私は再び立ち上がる覚悟を決めました。
車を手放してでも再生を選んだ現実と制度の仕組み
個人再生を選ぶうえで、最も大きな決断だったのは車を手放すことでした。任意整理を選んだときは「車だけは残したい」という気持ちが強く、生活の一部として手放せない存在でした。しかし、ディーラーローンが4年も残っていたため、所有権は実際には販売会社側にあり、個人再生の手続きを進める段階で回収されることになりました。
当初はその現実を受け入れられず、強い喪失感がありました。しかし、弁護士から「車を手放すことで生活再建の可能性が生まれます」と説明を受け、ようやく納得しました。個人再生の本質は、借金を減らすことで生活そのものを立て直す制度であり、モノを守るための仕組みではないのです。
実際に申立てを進めると、借金総額は約800万円から150万円程度まで大幅に減額されました。返済期間は3年、月々の返済額も現実的な範囲に収まりました。個人再生の強みは、裁判所を通して正式に認可されるため、返済計画に法的な効力があることです。もう自転車操業に戻ることはなく、確実に完済までの道筋が見えるようになりました。
車を失った代わりに、「もう借金に支配されない生活」を手に入れた。あのときの決断が、再生への本当のスタートラインでした。次では、個人再生の返済が進む中で見えてきた“完済目前の心境”をお話しします。
返済計画の現実と完済目前の心境
個人再生の返済計画が始まってから、すでに3年近くが経ちました。2026年3月には、すべての返済が完了する予定です。結論から言えば、この3年間は“再生”という言葉の重みを実感した時間でした。借金を減額できたとはいえ、毎月の支払いを確実に続けることは決して楽ではありませんでした。
最初の1年は特に厳しく、支出を徹底的に見直す必要がありました。外食を控え、買い物も必要最低限に抑える。クレジットカードは一切使えないため、予算内でやりくりする生活が続きました。それでも、返済が進むにつれて「確実に減っていく残高」が目に見え、ようやく前進している実感が湧いてきたのです。
個人再生の返済には、弁護士を通しての管理があり、途中で延滞をすると計画そのものが無効になるリスクがあります。だからこそ、毎月の支払いを「生活の最優先」として位置づけました。返済日が近づくと、まずその資金を確保してから他の支出を考える。地味な努力の積み重ねが、少しずつ信頼と安定を取り戻すきっかけになりました。
完済目前の今、ようやく“借金のない生活”が現実として見えてきました。破産・任意整理・個人再生——そのすべてを経験したからこそ、「再生とは、制度ではなく意志の問題だ」と心から言えます。次では、この過程で学んだ“お金との向き合い方の変化”についてお話しします。
債務整理を通じて変わった「お金との向き合い方」
自己破産・任意整理・個人再生と、三つの債務整理を経験して痛感したのは、**「お金の使い方は、考え方そのものを映す鏡」**だということでした。結論から言えば、制度で借金を整理しても、根本の意識を変えなければ再び同じ過ちを繰り返してしまいます。私の場合も、破産後に一度は再出発できたものの、浪費癖が抜けずに再び借金を抱えました。
債務整理の過程を通じて、お金を「使うもの」ではなく「守るもの」として捉えるようになりました。とくに個人再生の返済を続ける中で、毎月の支出を1円単位で管理する習慣が身につきました。必要のない買い物をしない、レシートを取っておく、無理のない生活を続ける——地味ですが、この積み重ねこそが再生の基盤だと実感しています。
また、弁護士や司法書士とのやり取りを通じて、**「制度を正しく使うこと」**の大切さも学びました。債務整理は決して特別なことではなく、立て直すための法律上の手段です。恥ではなく、現実と向き合うための行動です。
お金との向き合い方が変わると、心の余裕も生まれます。もう「借金に支配される人生」は終わりにしたい。次では、浪費を繰り返さないために意識してきた習慣を具体的に紹介します。
浪費を繰り返さないために意識した習慣
債務整理を経て、何よりも意識したのは**「浪費をしない仕組みを生活の中に作ること」**でした。結論から言えば、人は意志だけでは浪費を止められません。行動のルールを変え、支出を制御できる環境を整えることが大切です。私は再び借金をしないために、次の3つの習慣を徹底しました。
1つ目は「現金主義への切り替え」です。クレジットカードは全て使えなくなったので、デビットカードまたは現金で支払うようにしました。手元のお金しか使えない仕組みを作ることで、「足りないなら買わない」という当たり前の感覚を取り戻せます。
2つ目は「支出記録の習慣化」です。毎日、使った金額をスマホのメモに残すだけでも効果があります。後から振り返ると「何にいくら使ったか」が明確になり、無意識の支出に気づけるようになりました。
3つ目は「買う前に一晩置くルール」です。衝動買いを防ぐために、欲しいものができてもすぐには買わず、一晩経っても必要だと思えたときだけ購入します。これにより、感情に流されず冷静な判断ができるようになりました。
浪費は癖であり、時間をかけて修正するものです。完璧を目指すのではなく、仕組みで支出をコントロールする——これが再生後の私の生活の基本です。次では、50代となった今、再出発に必要だったことを振り返ります。
50代からの再出発に必要だったこと
50代に入ってからの再出発は、若い頃のそれとはまったく違いました。体力や気力の衰えを実感しながらも、**「ここで立て直さなければ、本当に終わってしまう」**という危機感が常にありました。結論から言えば、50代からの再生に必要なのは“勢い”ではなく、現実を受け入れる覚悟と地道な継続です。
まず意識したのは、収入の安定でした。仕事を変えるのではなく、今ある環境の中でどう安定させるかを考え、生活コストを下げることに重点を置きました。新しいことを始めるよりも、「無駄を削る」「支出を固定する」「貯金の優先順位を上げる」といった基礎的な行動を積み重ねました。
また、孤立しないことも大切でした。借金や債務整理を経験すると、人との関係を避けがちになります。しかし、職場の人間関係や小さな交流を保つことが、精神的な安定につながりました。孤独になるほど判断力が鈍り、同じ過ちを繰り返すリスクが高まるからです。
50代からの再出発には時間がかかります。若いころのようなスピードは望めません。それでも、一歩ずつ積み上げれば確実に生活は安定していきます。焦らず、比べず、今ある生活を守ること。それが、私が再生を続けるうえで学んだ最も大切な教訓です。次では、債務整理に対する偏見や「恥ずかしさ」について、私の考えをお伝えします。
債務整理は「恥」ではなく「再生の第一歩」
自己破産・任意整理・個人再生と、私は3度の債務整理を経験しました。最初の頃は「恥ずかしい」「情けない」という感情しかありませんでした。結論から言えば、債務整理を恥だと感じていた時期こそ、まだ本当の意味で現実を受け入れられていなかったのだと思います。
債務整理は、逃げではなく「再生のための制度」です。借金を放置し続けることこそ、本当の意味での“終わり”です。制度を利用して生活を立て直すことは、責任を放棄することではなく、むしろ向き合う勇気の証拠です。弁護士に相談したとき、私は初めて「自分を責めることをやめていい」と感じました。
破産しても、再生しても、人生は続きます。債務整理の過程で社会的な制限が一時的にあっても、それは“罰”ではなく“リセットの時間”です。この制度がなければ、私は今ここにいません。借金をゼロにしただけでなく、「お金の怖さ」と「生きる意味」を同時に学ぶことができました。
誰にも言えずに悩んでいる人に伝えたいのは、「債務整理は終わりではない」ということです。むしろ、そこからが人生の再構築の始まりです。次では、長い債務整理の道のりを振り返りながら、私が感じた“再生の力”をまとめます。
まとめ|債務整理の体験から学んだ「再生の力」
25年前に自己破産を経験し、その後、任意整理・個人再生と続いた長い債務整理の道のり。その過程で私が学んだのは、**「再生とは、借金をなくすことではなく、自分を立て直すこと」**でした。制度はあくまで“きっかけ”であり、本当の意味での再生は、日々の暮らし方と意識の積み重ねの中にあります。
破産したときの絶望、任意整理の苦しさ、個人再生で見えた希望——それぞれの段階で感じたことは違いますが、共通していたのは「諦めなければ終わりではない」という事実です。借金に追われていた頃は、自分の人生を失ったように感じていました。しかし今では、あの苦しさがあったからこそ、無駄遣いをせず、身の丈に合った生活を続けられるようになったと実感しています。
債務整理は、決して恥ずかしいことではありません。むしろ、自分の人生を立て直すための勇気ある決断です。制度を利用し、少しずつ返済を続け、生活を見直していけば、50代からでも再スタートは十分に可能です。
2026年3月、私は個人再生の返済を完了します。あの日、「もう終わりだ」と思っていた自分に伝えたい——人生は何度でもやり直せる。借金に苦しむ人に、少しでもこの体験が希望として届けば嬉しく思います。

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