10万円ほどの買い物を、アメックスのカードでしました。
一括にしたのか分割にしたのか、正直なところはっきり覚えていません。それくらい、当時の私はお金の管理に対して無頓着でした。
支払日が近づいたある日、ふと銀行口座の残高を確認して青ざめます。
「このままだと、引き落としに足りないかもしれない」。
延滞だけは避けたい。その一心で、私は支払い方法をリボ払いに変更しました。多くの人がそうであるように、「とりあえず今月を乗り切るための選択」だったと思います。
ところが、その翌日。
アメックスから一本の電話がかかってきました。内容は「現在の利用限度額を引き下げる」というものです。確か30万円だった限度額を、半分の15万円にする、という通達でした。
その瞬間は、正直ショックでした。
「そんなに危ない使い方をしていたのか」「厳しいカード会社だな」──そう感じたのを覚えています。
しかし今振り返ると、あの一本の電話がなければ、私はその後もカードを使い続け、借金を膨らませていたと確信しています。
この体験は、単なるクレジットカードの話ではありません。
債務整理を経験した今だからこそ言える、「人生のブレーキ」についての話です。
支払いをリボ払いに変えた翌日、アメックスから電話が来た
ここからは、当時の出来事を時系列で振り返っていきます。
大きな買い物をした直後、支払日が近づいてから残高不足に気づき、延滞を避けるためにリボ払いへ変更した流れ。そして、その“ごく小さな判断”が、どのような結果を招いたのか。
特別なトラブルが起きたわけではありません。
多くの人が一度は経験するかもしれない、ごくありふれた状況です。だからこそ、この体験は「自分には関係ない話」ではなく、「いつか自分にも起こり得る話」として読んでもらいたいと思っています。
ではまず、なぜ私がリボ払いという選択をしたのか、その時の判断からお話しします。
なぜリボ払いに変更したのか(当時の判断)
当時の私は、「延滞さえしなければ大丈夫」という考え方をしていました。
支払日が近づき、銀行口座の残高が足りないと分かった時点で、頭に浮かんだのは信用情報への悪影響や、カードが止まる不安です。だからこそ、延滞という最悪の事態を避けるために、迷わずリボ払いへ変更しました。
この判断自体は、決して珍しいものではないと思います。
「今月だけ乗り切れればいい」「来月は何とかなるだろう」。そうやって先送りをすることで、目の前の不安から一時的に逃げられるのがリボ払いです。実際、支払い額は軽くなり、引き落としの心配もなくなりました。
しかし今振り返ると、その時点で私はすでに黄色信号を見落としていました。
一括か分割かを正確に覚えていないほど、支出の把握が曖昧だったこと。残高確認が支払日直前だったこと。これらはすべて、「お金の流れを管理できていなかった証拠」だったのだと思います。
それでも当時は、リボ払いに変更したことで「正しい選択をした」「これでひとまず安心だ」と感じていました。
まさかその判断が、翌日にカード会社からの連絡につながるとは、まったく想像していなかったのです。
限度額30万円→15万円に減枠された事実
リボ払いに変更した翌日、私のスマートフォンに知らない番号から着信がありました。
出てみると、**アメリカン・エキスプレス**からの連絡でした。用件はシンプルで、「現在のご利用状況を踏まえ、利用限度額を引き下げます」というものです。
当時の限度額は、確か30万円ほどだったと思います。
それを半分の15万円に変更する、という通達でした。交渉の余地はなく、淡々と事実だけが伝えられました。
この時の正直な感想は、「厳しいな」という一言に尽きます。
延滞したわけでもない。支払い方法を変更しただけ。それなのに、いきなり限度額を下げられる。自分が信用されていないように感じましたし、どこか監視されているような気持ちにもなりました。
ただ、この「早さ」は他のカード会社では経験したことがありませんでした。
支払いが遅れたわけでもない段階で、リスクの芽を察知し、利用そのものを制限する。その対応は冷徹にも見えましたが、結果的にこの減枠によって、私はそれ以上カードを使うことができなくなりました。
この時点ではまだ気づいていませんでしたが、
この「使えなくなった」という事実こそが、後になって私を救うことになります。
最初は「厳しいカード会社」だと思った
限度額を引き下げられた直後、私の中に残ったのは戸惑いと不満でした。
頭では「仕方がないのかもしれない」と思いつつも、感情が追いつかない。冷静に判断できる状態ではなく、「なぜ自分がこんな扱いを受けるのか」という気持ちのほうが強かったのを覚えています。
この時点では、まだこの出来事を前向きに受け止めることはできていません。
むしろ、カード会社に対して距離を感じ、「厳しい」「融通が利かない」という印象を抱いていました。
ここから先は、そんな当時の率直な感情と、その後の行動について振り返っていきます。
なぜネガティブに感じたのか
限度額を半分に引き下げられた直後、正直なところ気分は良くありませんでした。
延滞したわけでもなく、支払い方法を変更しただけで「制限」をかけられた。その事実が、「信用されていない」「問題のある利用者と見なされた」という感覚につながったからです。
特に引っかかったのは、他のカード会社では同じような使い方をしても、何の連絡もなかった点でした。
支払いをリボに変えても、警告も制限もなく、これまで通り使えてしまう。その経験があったからこそ、「なぜ自分だけが?」という気持ちが強くなったのだと思います。
当時は、カード会社の対応を「厳しさ」や「冷たさ」として受け取っていました。
利用者の事情よりも、機械的なルールを優先しているように感じたのです。
今思えば、それは自分の都合でしか物事を見ていなかった証拠でもありますが、その時点では、そう割り切れる余裕はありませんでした。
それでもカードを使わなくなった理由
ただ一つ確かなのは、この減枠によって、私はそのカードをほとんど使わなくなったという事実です。
使おうと思っても、限度額が下がったことで心理的なブレーキがかかり、「また同じことを繰り返すのではないか」という不安が先に立つようになりました。
もしあの時、何の連絡もなく、これまで通り使えていたらどうなっていたか。
そう考えると、答えはほぼ決まっています。私はきっと、「使えるから」という理由だけでカードを使い続けていたでしょう。支払いはリボ、残高は把握しないまま、少しずつ借金を積み上げていたはずです。
カードを使わなくなったのは、自制心が急に強くなったからではありません。
単純に、「使い続けられない状況」に置かれたからです。
この“強制的に立ち止まらされた”感覚は、当時は不本意でしたが、結果的には非常に大きな意味を持つことになります。
この時点ではまだ、「助けられた」とまでは思っていませんでした。
ただ、「これ以上は進めない」と示されたことで、少なくとも借金が一気に膨らむ流れは、ここで一度止まったのです。
債務整理を経験した今だから分かる、アメックスの本当の意味
ここから先は、当時ではなく「今」の視点で振り返る話になります。
債務整理を実際に経験し、借金と真正面から向き合ったあとだからこそ、あのときの減枠の意味を、ようやく冷静に捉えられるようになりました。
あの電話は、単なるカード会社の判断ではありませんでした。
自分の金銭感覚、そして「借りられるうちは大丈夫」という思い込みを、強制的に止める出来事だったのです。
他社カードは“何も言わなかった”
正直に言うと、同じような使い方をしていたカードは他にもありました。
支払いが厳しくなり、リボ払いに切り替えても、そこから何か言われることはありません。利用限度額も変わらず、これまで通り使い続けることができました。
当時の私は、それを「ありがたい」「助かる」と感じていました。
止められないことが、優しさだと思っていたからです。実際、使える枠があることで、目の前の不安は一時的に消えていました。
しかし結果はどうだったか。
誰にも止められず、どこまでも使えてしまったことで、借金は静かに、確実に膨らんでいきました。
「使える=安全」ではなかったのです。むしろ、それは破綻に向かって進み続ける状態でした。
止めるという判断が持つ意味
一方で、リボ払いに変更した直後に限度額を引き下げられたあの対応は、振り返ると極めて合理的でした。
支払い方法の変更という小さな変化から、「このままでは危ない」という兆候を読み取り、利用そのものを制限する。これは、感情ではなく、徹底したリスク管理の結果だったのだと思います。
カード会社にとって、利用者が使わなくなるのは利益が減ることを意味します。
それでもあの時、利用を止める判断をした。
その結果、私はそれ以上カードを使えず、借金を増やすこともできませんでした。
あの時は「冷たい」「厳しい」としか思えませんでしたが、
今ならはっきり言えます。
あれは、私の借金がこれ以上膨らまないようにかけられた、強制的なブレーキでした。
もし、あの時止められていなかったら
もしあの時、何の制限もなくカードを使い続けられていたら。
そう考えると、正直、ゾッとします。
リボ払いという仕組みに甘え、支払いの実感を失い、借金を重ねていた未来が簡単に想像できるからです。
自分の意思だけで立ち止まれるほど、当時の私は冷静ではありませんでした。
だからこそ、「使えなくなる」という外部からの制限が必要だったのだと思います。
債務整理を経験した今、あの減枠の連絡がなければ、もっと深刻な状態になっていた可能性は高い。
そう断言できます。
止められたこと自体が、すでに救いの一部だったのです
債務整理は万能ではない、それでも否定されるものでもない
ここまでの話を読んで、「では債務整理をすればいいのか」と感じた方もいるかもしれません。
しかし、ここははっきりさせておきたい点です。債務整理は、決して万能な解決策ではありませんし、誰にでも安易に勧められるものでもありません。
それでも私は、「債務整理=悪」「債務整理をしたら人生は終わり」という極端な考え方には、強い違和感を覚えています。
支払う責任があるのは大前提
まず大前提として、買い物をした以上、その代金を支払う責任があることは間違いありません。
これは社会人として、ごく当たり前のことです。私自身、債務整理を経験したからといって、その責任から逃げたつもりはありませんし、逃げていいとも思っていません。
計画性を欠いた使い方をしたのは自分自身です。
その結果として苦しくなったのであって、カード会社や制度のせいではありません。
だからこそ、債務整理を「都合のいい逃げ道」のように語るつもりはありません。
「債務整理=人生終了」という偏見の危うさ
一方で、世の中には「債務整理なんてしたら終わり」「そんなことをしたら社会的に終わる」という声が根強くあります。
この偏った常識が、人を必要以上に追い詰めていると感じる場面を、私は何度も見てきました。
誰にも相談できず、「まだ何とかなる」と自分に言い聞かせながら借金を重ねる。
あるいは、追い詰められすぎて、取り返しのつかない判断をしてしまう。
そうした状況に比べれば、制度として用意されている解決策を頼ることは、決して恥ずかしいことではありません。
どうしてもダメなら、頼るという選択肢
何でもかんでも、借金を背負ったら破産すればいい、という話ではありません。
本来は、支出を見直し、働き方を変え、少しずつでも返していくのが理想です。
それでも、どうしても立て直せない局面はあります。
冷静な判断ができなくなり、視野が極端に狭くなる瞬間が、人にはあります。
そんな時に、「頼ってもいい選択肢がある」と知っているかどうかで、人生は大きく変わります。
あの時、アメックスが私を止めてくれたように、債務整理もまた、破綻する前に立ち止まるための一つの手段です。
まとめ:止められたのは、カードではなく破綻だった
当時の私は、限度額を下げられたことを「厳しい対応」だとしか思えませんでした。
しかし今なら、はっきり分かります。
あれは、借金がこれ以上膨らまないようにかけられた、明確なブレーキでした。
貸し続けることだけが優しさではありません。
止めること、使わせないことも、時には人の人生を守ります。
債務整理は、決して誇れる選択ではないかもしれません。
それでも、人生を終わらせるほどのものではありません。
間違った判断を重ねてしまう前に、制度や専門家を頼るという選択肢があることを、どうか忘れないでください。
カードを止められたあの日、
私の破綻も、そこで止まっていたのだと思います。

コメント